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2012年05月02日(水)

顕現している世界は色の重なり [知的生活]

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プンジャジの教えから、グルのラマナ・マハリシの教えに遡り、自分自身の自我から。あるインスピレーションが湧いたので、ここに記しておきます。

僕は、哲学から量子力学まで知識の横断が好きな困った性分で、色々なジャンルの本から知識を得てきました。
素粒子には同一のスペースに重なって存在できない性質のものと、同一のスペースに重なって存在できる性質のものがあります。後者の重なりが自由な素粒子は、「色」や「音」に例えることができそうです。
すなわち、色を重ねる、音を重ねる、です。
賢者の教えから
自我は「私」という想念からはじまり、「時間」という想念を生みだし、その後は世界全体を顕現させると知りました。

顕現しているものは「想念」をもつともいえるし、想念ゆえに「顕現」しているともいえます。
自らの想念すなわち「自我」を通じてしか世界を認知しない。
おおよそ素粒子の振動と揺らぎでしかない物質には、エネルギーの濃淡はあれども、境界は存在しない。
境界すなわち「自他」を区別する意識こそ「自我」であり、独立して周囲と溶け合っていない、境界が明らかなものを物質とよび、「顕現」として感じているとするなら、顕現している物質には「自我」が存在していることになる。
この世界は、物質がもつ「自我」の想念の折り重なりといえる。

想念と想念は、あたかも色を重ねるごとく同一の「スペース」に配合色ともいえる状態を作っている。
この配合色がそれぞれの自我を通して顕現の映像として認知されているのではないだろうか?
色々の物資、すなわち分裂した「自我」の想念、色のように重なった「配合色」の状態を「場」と呼んでもいいと思います。

分裂した自我はそれぞれの想念から「場」を認知しているので、自我の数だけ、異なった「場の認知」のしかたがあると思える。
この「場の認知」を世界観と呼んでもよい。

色は「振動」「ゆらぎ」であるので、想念の数だけ「ゆらぎ」の数があり、それが同じ「場」に重なっているだけなのではないか・・・

時空は存在しない、「動く空間」はなく、「流れる時間」もない。
ただ想念が「場」に重なった色や音のように「ゆらいでいる」。
「ゆらぎ」という想念がなければ顕現もなく、自我もなく、
当然、時空すらない
ただ、不変の
「真我」が「ある」だけになる。

僕の書いたこの文章の「想念」「色」「音」に、
読者の貴方の「想念」「色」「音」を重ねた
極彩色と和音に満ちた
「場」を
僕は、僕の世界と認知し
貴方は、貴方の世界と認知している。
僕と貴方は、色を見る「フィルター」が異なり、
音をとらえる「マイク」が異なる。
分裂した自我にとって、世界は同一ではあり得ない。

量子力学で「観測」という行為がなければ、物質の状態は「不確定」できまっていないことと、
最近では素粒子を「色荷」としてとらえる「量子色力学」研究が進められていることなど、
上記の「想念」の重なりが観測者によって、異なった色や音に感じることに
共通性があると考えます。

Posted by 管理者 at 14時33分

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