2009年08月27日(木)
コンシェルジュの奥でございます
始めまして、新しく仲間入り致しましたコンシェルジュの奥と申します。
日常を一時忘れられるvitaスペリオーレクラブにて、会員様の安らぎの空間にお手伝いが出来れは幸いでございます。
又、コラムでは皆様の心を少し擽るようなそんなコラムを目指してキーボードに向かいたいと思っております。
ご挨拶はこれぐらいで、今日は、昨日ベン先生に宿題を頂いた『ベン先生はどんな先生?』について。。
→やぁ。正直難しいですぅ。【汗。。】
脳を、右左に絞っても、きっとベン先生には突っ込まれるのは、覚悟致しましてずばり。
ベン先生に初めてお会いしたのは、2ヶ月程前で私が生きてきた中、今までお目にかかった事のあるDr.とは全く違うスタイルのお医者様だと思いました。
それは、先生の外観的スタイルと先生がお話される一言一言から表現されるものまでがそうで、『ベンブランド』がここにはあると感じました。
私から見たベン先生のイメージ像は、山の奥地に隠り、一年に一作品をこだりにこだわりぬいて作る陶芸家のようなイメージです
。
今日は私から見るベン先生のイメージをお話しましたが、次回は、先生に探りを入れて本質に迫ったものを、速報でお伝え出来ればと思っております。
追伸
気候が変わる頃です、皆様お体の変化には十分お気を付け下さい。
ちなみに、私は胃腸風邪をひいてしまいました。。
皆様その前に
是非クリニックでは、高濃度点滴がお勧めです。
Posted by 管理者 at 17時45分 パーマリンク
2009年06月19日(金)
―連載最終回 万歳!世界自然遺産に登録!
自然遺産に押し上げる提言をしようと決断したのは、当時ムルに来られる欧州からのゲストと名刺交換をしたとき、製薬会社の人が多く、彼らからこの森の価値を教えてもらったのがきっかけでした。
自然遺産の決定的決め手となったのは、この山全体にあります。
ひとつはジャイアントケーブという力学的には崩壊しておかしくないほどの巨大な洞窟があります。そして動植物の生態系に大変な研究価値があります。実際にミリ市にあるランビルという村には、日本の大学が3学だったか4学だったかが協力しあい、生物学の権威的な教授と学生さんたちが珍しい動植物の研究を続けておられます。癌のお薬やHIVのお薬のもととなる成分は、このジャングルから発見されているそうでよ。
お花好きには、断崖絶壁に自生するランが有名です。見つけることができれば、とても幸運なほど、レアなランです。持ち出しは禁じられていますが、闇では当時25万円ほどで取引されていました。
先述のジャイアントケーブは、ジャングルを2日かけて行軍しなければならないので、観光用には公開されていませんが、観光用の4つの洞窟だけでも十分に魅力的です。
遊歩道も整備され、ジャングルトレックを気軽に楽しんでもらえますよ。
ただ、非公開のケーブも国立公園に申し出て、レンジャーを雇えば、冒険にでることは可能です。
ジャングルを歩いているといろんな昆虫や動物、植物に出会います。但し、ラフレシアはここでは見られず、サラワク州の別の国立公園か、サバ州で見ることができます。
でも、蟻と植物の共生のようすとか、One Leaf Plantという1本に一枚の葉しかつけない珍しい種類の植物など、退屈せずに散策できます。
この花はとても咲き方も姿も、可憐です。
上の写真は、アジア最大級の蝶です。色もきれいですが、おどろくほど高速で飛びます。つばめが滑空するようにスマートに飛び、とても優雅です。
右は、昆虫好きにはたまらない、3本角のカブトムシで、ジャングルの中よりも、水を求めてホテルのプールサイドに勝手に集まってくるので、簡単に出会えます。
私が見た最大のものは大人の男性の握り拳大。
手にとろうとしたら、力が強くて、ウッドデッキから、はがしとることさえできませんでした。
さあ、いよいよ洞窟です。
観光用洞窟は Show Caves と呼ばれ、大きさと、こうもりの飛翔で有名なディアケーブ、数億年かけて、かつまだ進行中の鍾乳洞が美しいラングケーブ、ジャングルの水の循環システムに研究価値のあるクリアウオーターケーブ、風穴となり、独特の鍾乳形態のウインドケーブの四つです。
これまた際限なく話題に事欠きませんから、今回は2つだけご紹介します。
ひとつは欧州の大聖堂が4つは入るとされている巨大なディアケーブです。実は昼間はこの中にこうもりが300万匹、眠っています。その中を歩いて巡ります。中には小川が流れており、こうもりの落とす糞から出る栄養素と塩分がその清水にしみだし、それを野生の鹿の大群が飲みにきていたことからディアケーブと名付けられています。
ちなみに目のない透明なエビが生息し、もとは深海であったことを物語ります。
このこうもりたちですが、午後5時くらいになると、ファミリー毎にジャングルへ捕食に飛び立ちます。これをドラゴンフライと呼び、観光の目玉となっています。
小さな展望広場にはこのドラゴンフライを見るために集まった世界中の人達でいっぱいとなり、肩ふれあう広さなので、国籍を超えて和気あいあいの歓声がとても楽しい。
これがディアケーブです。
中から入口を振り返ると、アメリカの歴代大統領でも歴史的にもっとも有名な方の顔が見えます。
さて誰でしょうか。下がそれです。
下の2つが、ドラゴンフライ。
洞窟の入口にファミリー毎に円を描くように飛びながら集まり、全員そろったら、ファミリー毎に龍のようにつらなって、主に蚊を食べに行きます。すべてのファミリーが飛び出すまで、約1時間かかります。
蚊を一晩で、10tも食べますから、ジャングルの中ではうまく生態系が守られていて、意外に私たちは、蚊にはくわれません。
次にご紹介するのは、ラングケーブ。
4つの中ではもっとも小さなケーブですが、太古の昔から1mmずつを積み重ねた鍾乳石は、言葉では表現できない美しい自然の応接間を作っています。また小つばめも生息し、天井に水流が石でこすりあけた小さな穴で眠る姿が愛らしいですよ。
とこんな具合に、遊歩道とリバーボートで4つのケーブを回り、夜6時過ぎくらいに帰路につきます。
途中、もう日本では見られなくなったホタルたちがとびまわり、日本のものとは違うカエルやこうろぎの不思議な声を聞きながら、漆黒の闇の中、懐中電灯の明かりを頼りに、国立公園の入口へ戻ります。六時きっかりに鳴くカエルがいて、ジャングルの時報、母の鐘。
いい汗をかいたあと、国立公園入り口の茶店でビールをいっぱい、、、たまりません。
ホテルに戻れば、おいしい料理、特に野菜やバナナなどは、ジャングルに自生しているものをシェフたちが収穫に出かけますので、ほんとうにオーガニックな野菜炒めが味わえますよ。
変わり種に挑戦したければ、チカダのから揚げなどいかがでしょう。
チカダは、せみで、その子供を、羽をとって、さっと揚げます。
メニューにはありませんので、ホテルの従業員にあらかじめ頼んでおいてくださいね。味は、目をつむって食べれば、えびです。挑戦したい人はいないと思いますが、、。
エピソードA :地元の集落はロングハウスという、世帯が増える毎に横に建て増しをしていく、大家族集落です。ほとんどがクリスチャンで、従業員もこの集落群から雇っていますので、クリスマスには贈り物をもって訪問します。族長さんは客人をもてなすときは自ら吹き矢と槍をもってジャングルに入り、いわゆる野豚を狩りにでかけます。このワイン煮込みがうまいんです。お酒もトワという米の酒を作ります。日本人にはなんとなくなじみある料理の数々が並びます。ただ病人以外の男性は、ぶったれるまで、1世帯訪問毎に酒を飲まされますので、心して訪問してくださいね。もっとも巨大な集落は80世帯でしたぁ!!!
ホテル内には、崖登りの施設や、自転車やつりざおの貸し出しなど、アクティヴィティもいっぱいです。プールも小さいですが、ジャングルの中のプールは不思議感いっぱいです。
ハミングバードや、運がよければ州の象徴である、大きな鳥、ホーンビル(サイ鳥)が見られるかも。
必ずツガイで飛ぶこの鳥を見つけることができれば、幸せになれると言われます。
私はジャングルの新しいルート探索にでかけたとき、道中30分間、私たちの上で旋回しながら、5ツガイで飛ぶ10羽のホーンビルに会いました。人間が珍しかったんでしょう。
一度にたくさんのホーンビルに会いすぎたのでしょうか、あまり幸福感を覚えたことはありません。(笑) (下の写真がホーンビルです。大きいですよ。羽広げたら約1m。)
この3年間で、私の人生観は変わりました。
家族・一族一丸となって生活すること。
物質より時間と空気が大切なこと。
鳥の声で目を覚まし、夜の帳とともに眠ること。
まさに動物としての人間の、本来の生活を楽しんだ3年間でした。
因みにここの川で泳いでいると、できものなどはきれいに消えてなくなります。
日本に帰ると、同じところに同じものができたのには驚きました。
端折ったツアーでしたが、皆さんの旅情を、少しはかきたてることができたでしょうか?
もう一度、それぞれのホテルのHPアドレスです。話しても話しきれないので、興味のある方はどうぞ。
ミリの海辺のホテル:
http://www.marriott.com/hotels/travel/myymc-miri-marriott-resort-and-spa/
ムルのジャングルのホテル:
http://www.royalmuluresort.com/home.htm
今はマリオットホテルグループと地元資本のホテルになっています。さみしい限りです。
私がホテルを辞めたのも、これが大きな理由のひとつです。
もっと話を聞いてみたい人、クリニックへ遊びに来てください。
エンドレスストーリー、お話します。
自慢ではないですが、世界遺産登録を提言したのも、今の飛行場拡張を提案し、地元州政府を動かしたのも、当時の私と私のクルーでした。世界遺産登録決定を聞いた直後、日本に戻ってきました。
帰国直前、地元の有力紙には、「Mr. Sakamoto Leaving」とタイトルされた記事が新聞1ページ扱いで掲載されました。思い出を閉じ込めるため、その新聞は持ち帰りませんでしたが、あの町とあの村の人々の繁栄を、今も心から祈っています。
データ:
所在地 マレーシア国、東マレーシアボルネオ島・サラワク州
民族構成 イバン族(土着民)40%、華人40%、マレー族4%、その他を土着の少数
民族数種で構成。
本島西マレーシアとはまったく異なる文化を有しています。
州都 クチン
産業 天然ガス、石油、木材、やし加工品原料
食べ物 マレーと中華がミックスされた現地料理はさほど辛くなく、全般的に日本人の口に合います。
はっきりいって、おいしいです。
私の好物 ジャングル自生のバナナ、サラワクラクサ、フィッシュヘッドカレー、
コロミー、ビーフレンダン、アイスカチャン、チャンコマニスという繊維豊富そうな野菜の卵炒め。
*ラクサやフィッシュヘッドカレーは、シンガポールが有名ですが、まったく品質が違います。
こちらの方が、あっさりとしかししっかりと味があり、断然うまいです。
コロミーは、東京あたりで一時流行った汁なしの「油そば」です。
が、麺は細く、たれがしっかりとからみ、あっさりとして信じられないほどおいしいです。
これはサラワク州にしかなく、一番有名なのは、州都クチンのそれです。
ちなみにクチンは、第二次大戦中、4年間、日本の統治下となりました。
シンガポールと同じで、資料館には、「未来に向かって手を携えよう!
でも過去は忘れるな」という、実に心を痛めるが、考えさせられる碑文があります。
Posted by 管理者 at 15時38分 パーマリンク
2009年05月06日(水)
思い出話―連載その2 ジャングルのホテルの思い出話と苦労話
こんにちは、お待たせしました。
海辺のホテルからの出発です。
では、ジャングルツアーへご招待しましょう。
ミリの町から、ツインオッタ―という19人乗りの飛行機で約45分。ほんとうに海のような広大な樹海旅行です。小さな飛行機ですが、プロペラがとまっても滑空する世界一安全な機と言われています。
どうです?まさに樹木の海です。
低空飛行なので、景色を楽しめ、退屈しません。
ジャングルを縫うように流れるムル川です。
ジャングルの土が流れ込み、栄養豊富な水のため、にごっていますが、絶景です。
ムル村にあるグヌンムル国立公園は、2000年に世界自然遺産に登録されています。
ジャンボ機が40機も入る大きな洞窟をはじめ、4つの珍しくも美しい洞窟が公開され、土地は石灰岩質からなり、数億年前に隆起によってできた、グヌン・ムルという山に囲まれた村、ムルへ向かいます。
飛行機からホテルが見えてきました。
ジャングルの中に忽然と現れます。
感動しますよ。
雨が多く、水はけはよいのですが、すぐに洪水のようになるために、地元の家屋にならい、3mの高床式の建物です。写真では本棟を中心とした一部しか見えてませんが、森の奥にずっと延びるようにシャレー棟が続きます。
小さな空港へ降り立つと、日差しが強く、まずは「アツー!」です。
でも到着時刻に合わせ、ホテルの車がお出迎え、5分でホテルに到着します。
ホテルエントランスです。
瀟洒な雰囲気ですが、広大な敷地に鳥が羽を伸ばしたように建っています。
ゲストのお荷物はすべて、リヤカーならぬ
フロントカー自転車でお部屋までお運びします。
たまに一緒に乗るゲストもあります。
わかりにくい図ですが、森の奥に続くシャレー棟はこんなに延びています。
だからこんなウオークウエイで棟と棟をつないでいます。ホテルの中もジャングルです。
リスなどの動物も見れますよ。
自生する天然のマンゴーもそこかしこに。なにしろ食べて種をぺっと吐き出しておいたら、勝手に育つんです。
このホテルのロビーは秀逸です。
一歩踏み入れた瞬間、熱い太陽の日差しを瞬時に忘れる、自然な木による涼感で、ほっとします。そのうえに自然の木による香りが、癒しの効果を発揮し、まさにリゾートに到着です。
標準的なお部屋です。
使われている木は、開発時に切り倒した木を多く使っています。
ジャングルの中でも、熱いお湯も電気もちゃんとあります。
今はインターネットだってできちゃいますし、もちろん電話も。
天気が悪くなると通じにくくなりますが、、、。
エピソード@
開発当初、地元民に不安を与えたらしく、本当に川の上で、槍と吹き矢をもった反対派に囲まれ、サラワク州の軍隊に出動依頼をし、軍隊駐留のままホテル建設が始まりました。今はもちろん雇用の創出や、食材料の購入、観光収入の面で、地元民からは誇りとされています。
ホテルは、メリナウ川のほとりにたち、ホテルの中もジャングルです。
ジャングルといっても、いわゆる猛獣はいません。川にはときおり毒をもつ川蛇を見ますが、それもはっきりとわかるので、逃げるチャンスはたっぷりあり、No Problem!(笑)
ワニを想像する人もいますが、下流にいけばワニもいますが
このホテルの周辺には生息しません。
人は、やはりジャングルの中で育っただけに
女性も男性も骨太のたくましい体型ですが、シャイで、温和です。
メインの部族は、以前は、男は戦闘部族で、勝利の証に首を狩っていました。今も住居には昔のしゃれこうべが、悪霊を払うお守りとして飾られています。
女性は小柄な人が多く、足腰はたくましいですが、全体に華奢な雰囲気があり、とてもきれいな人が多いです。
後述しますが、ここの観光の目玉は洞窟巡りです。でもそれだけでは、一日で退屈します。
オープン当初、ホテル内アクティヴィティは自然なものが多いだけに、危険だの、その場合の補償が不安だのと本社も消極的で、シティホテルのようにご飯を食べて寝かせるだけのホテルでした。でもそれはゲスト満足に向かってないですよね。
また小さな飛行機(19人乗り)が一日3.5便しかなく、しかも飛行機は地元民の足でもありましたから、188室を埋めるゲストを運んでくることさえできませんでした。だからなんとか連泊をしてもらわないと商売あがったりです。
そのため、敷地内にロッククライミング施設を作ったり、自転車やカヤックを貸し出したり、ナイトクルーズなどソフトなアクティヴィティもたくさん作りました。
HPを見ると、今も残っているようで、とてもうれしく思っています。
特にナイトクルーズはおススメです。川の上流まで写真のように小舟でさかのぼり、帰りはエンジンを切って、川の流れにまかせて下りてきます。舟に寝ころぶと、そこには、降り落ちてこんばかりの満天の星、星、星、星、星、星、星、星、、、、忘れられません。
楽しいばかりのように書いてきましたが、実は同時に商売の上では、地獄の3年間でした。
タイのバーツ暴落を発端に引き起こされたアジアの経済危機は、マレーシア・マハティール元首相の計画をすべて振り出しに戻しました。
当時は、LOOK EAST政策と呼ばれ、日本に学び、日本に追いつけ、ともう少しで先進国の仲間入りを果たすかといわれたほどに経済発展を遂げました。
しかしヘッジファンドの猛威に一蹴され、私のホテルのインフラ整備も放置されたままになり、関空からの直行便も成田からの直行便も、サラワク州からは消えていきました。
マレーシア貨幣がドル変動制でないのは、マハティール氏の米国不信からなのは、ご存じでしたか?
こうした世界的な経済状況不安に加え、特に海辺のホテルは周囲の小さなレストランやバーにゲストをとられ、ディスコなどは毎日ゼロ来客。売上がないので予算ももらえず、従業員たちと手作業で、改修したり改造したり、でもそのおかげでディスコは、ゼロ来客から、一日600人の来店数に持ち上げるなど、初めてホテル全体で単年でトントンのところまで、、、、苦労しました。給料を払うのも、自転車操業でしたからね。会社員としての評価は上がりましたが、勝手にいろんなことをやったので、処分もされましたし。
そして、私にとっての決定的ダメージは、海辺のホテルでの異常な海水の変化でした。
もう少しで客室棟がもっていかれそうになる荒れ方の緊急事態で、お金はないし、安全は守らないといけないし、数か月、不安で眠れず、見る夢は、朝起きると私のベッドが海にぷかぷか浮いていて、、、、思い起こせば、ほんとうに恐怖でしたね。
それでも、やさしく忠実なスタッフに囲まれ、自然にも囲まれて、商売は地獄の3年、それでも人間的な、ほんとうに落ち着いた毎日が送れたこと、だから、また戻りたい3年なのです。
ホテルのお話も、写真も、際限なくありますので、このへんにして、自然遺産の洞窟のうち、有名なものを少し紹介しますが、これも長くなりますので、次回のお楽しみにします。
ムルのジャングルのホテル:
http://www.royalmuluresort.com/home.htm
Posted by 管理者 at 10時35分 パーマリンク
2009年02月23日(月)
マーケティング・企画ディレクター坂本の思い出話し
―連載その1 序章
こんにちは。
私は今はここでお仕事をさせていただいてますがもとはホテルマンやら外食産業やら小売業で仕事をしてきました。
ホテルマンが、20年間と一番長いのですが、どうしても戻りたい瞬間があるならいつ?
と聞かれたら、真っ先に出てくるのが、1997年から2000年までの3年間です。
大阪・中之島に建つ老舗ホテルのグループホテルが、当時マレーシアにあり、南シナ海に面した250室の海辺のホテルと、かつて日本兵が苦労を重ねたボルネオ島の熱帯雨林、つまりジャングルの真っただ中にある188室のホテルの、2軒の駐在代表を務めていました。
海辺のホテルは皆さんにも容易に想像ができると思いますが、ジャングルの中のホテルは
想像し難く、おォっと興味をもたれるのでは、、、実はとても素敵なホテルです。
少しご紹介しましょう。
まずは海辺のホテルから、、、、、。
海辺のホテルは、東マレーシア、つまりボルネオ島の北中部の海辺にあり、Sarawak州Miri(華名:美里)という、石油と天然ガスと木材輸出で成り立つ人口20万人の小さな町にあります。とりたてて観光名所はないのですが、南シナ海に沈みゆく夕日がとてもロマンティックで美しい眺めをもつホテルです。国境をへだてて、車で1時間半ほど走ると隣国には小さな石油大国ブルネイがあります。ブルネイは私たちからみれば戒律の厳しいモスリムの国ですから、あまり余興もなく、物価も高いため、週末はブルネイのお金持ちがこの町へ遊びと買い物に出てきます。ちょうど貨幣価値が倍になるのです。
なぜ観光名所もないのにここにホテルを建てたのか?
実は、ジャングルのホテル周辺を一大観光地とすべく、そこへと導くゲートウエイの役割を与えていました。ジャングルホテルは、ムルという村にあります。
観光名所はないとはいえ、毎日開いているマーケットへ行けば、日本では手に入らないですが、甘いことで有名なサラワクパイナップルやロンガンなど、トロピカルフルーツがところせましと並んでいます。
そして安い!パイナップルなど、当時は100円で10個くらい買えました。
ポンポンと市場の人達とやりとりしながら、次から次へと試食をする私を見て、遊びにきていた息子は、「お父さん、完全に地元民やな」と笑っていたことを思い出します。
ではツアーの始まりです。
日本からクアラルンプールへ約7時間。
そこでマレーシア国内線にのりかえます。
一路、ミリまで約2時間。
降り立つと年間を通して、85%はある湿度を感じますが、女性の肌にはいいようです。海側から空撮したホテルの全体の外観です。
中央が本棟、腕がのびるようにリゾート感あふれる、シャレー棟からなります。
ミリの空港から車で15分。ホテルのエントランスです。
リゾート感もありますが、5スターの風格もあります。
下はロビー。
大理石をふんだんに使いながらも、東南アジアのエキゾチックさを出しています。
天井高くオープンエアなので、開放感もばっちりです。
冒頭にお話しした、南シナ海に沈む夕日です。
ほんとに悠久のときが流れ、心に沁み入るサンセットですよ。
開放感のあるプールサイドから、昼間の暑さがやわらいだ中でゆっくりと楽しめます。
上のプールは、ホテル所有のものとしては、当時東南アジア最大の屋外スイミングプールです。
本棟からはできませんが、シャレー棟の客室からは直接プールへ出ることができます。
毎日曜の休みには、ここで過ごすのが私の週末でした。贅沢な週末ですよね。
左は、本棟の客室です。
清潔ですよ。
私も本棟の1室に3年間住みました。
右は、シャレー棟に囲まれる中庭。
テニスコートやジムもあります。
町の人々はとても親切で、小さな町には適当にバーやレストランも多く、ここは普通に生活ができる町です。私のレストランのお気に入りは、マキシムと、アポロ、という土着料理と中華料理がミックスした料理を出すレストランでした。
残念ながら写真がありませんが、とても日本人に合う味付けです。
いよいよジャングルへご案内しますが、どんなに端折っても長くなりますので、
次回に Continued
3回の連載にしたいと思います。
今もっとホテルを見たい方は、下記がHPのURLです。
http://www.marriott.com/hotels/travel/myymc-miri-marriott-resort-and-spa/
Posted by 管理者 at 16時31分 パーマリンク