2007年05月15日(火)
両親から受けた愛情を還元していきます [クリニックにて]
5月11日に父が他界しました。
検査入院中の急死で、病理解剖でも死因は分かりませんでした。
昨年の母に続いて、お別れもできずに逝ってしまいました・・・
先月、芦屋の僕の自宅で1カ月過ごし、帰りの電車で、ハンカチを握りしめ、大粒の涙を流しながら、僕に向かって合掌して何度も、何度も「ありがとう、ありがとう」と言ってくれたのが最後になりました・・・あの時の父の表情を思い出すと、どんな思いで僕に手を合わせてくれたのだろう・・・と胸がつまり、目頭が熱くなります。
僕も、3人の子を持つ父親として、亡父の心情が分かるため、ある意味、母親の時よりも辛さが増します。こんな辛い思いは初めてです・・・
多くの皆様から、亡父の葬儀に際して、ひとかたならぬご厚情を頂きありがとうございました。
1年に満たない間に、最愛の両親を亡くし、こころの中に開いた穴は大きなものですが、僕が、元気に人生を歩んで行くことを両親も切望していたと思います。
48年間注いでくれた愛情に、子供として応えることも叶わないうちに他界したことは無念に尽きますが、今後の精進で報いたいと思います。
父は4歳の時に韓国から日本に移住して来ました。
当時の事ですから、在日韓国人に対する差別は想像を超えるものだったと伝え聞いています。家畜の小屋を間借りして暮らした貧乏のどん底から、日勤・夜警で22時間勤務をしながら家族を養ってくれた時期もありました。
様々な職業を経験し、文字通りの「裸一貫」からの波瀾万丈の人生だったと思います。事業の成功を通じて得られた利益は、全て親族に還元しました。
思い出の一つに「母親の還暦祝い」があります。
在日の親族、約40名全てを招待して、観光バスをチャーターし、伊豆温泉を3泊で宴会旅行しました。バス会社も「一族の招待旅行など」初めての経験だったと驚いていました。僕は幹事として添乗員のように走り回ったことを懐かしく思い出します。
祖国、韓国では先祖の墳墓を13代にさかのぼって、全て改修しました。一族の誰にもできない、偉業を成し遂げた、「器の大きな人物」でした。
母親も李氏朝鮮の貴族の血を引き、任侠精神溢れる「いさぎのよい」真っ直ぐな「姐さん」でした。
こころから尊敬できる父と母でした。
素晴らしい両親の血を引き継いだ事に「誇り」を持って生きて行きたいと思います。
今後は、僕自身も「新たにスタート」を切り直すつもりです。
クリニックを中心とした事業を通じて、社会に貢献して両親から受けた愛情を還元していく決意です。
何卒、皆様の御指導、ご鞭撻のほどお願い申し上げます。
Posted by 管理者 at 15時14分
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