2012年03月17日(土)
「不安」も「不満」も自分で創った妖怪 [知的生活]
先日、退職したスタッフに、僕から手紙を書きました。
人生に迷っている若者です。
僕は20代から、宗教・哲学・スピリチュアルを随分、勉強して実践もしてきました。
四国八十八霊場のお遍路さんもしました
御嶽山で修験道の修行もしました
スピリチュアル関係の本を1000冊以上読みました
自分探しなど、必要ありませんでした・・・
豊かさも幸福も「自分の中」にありました。
平和と静寂も
過去にも未来にもありませんでした
「今、ここ」に存在して感じられることが「豊かさ」と「幸福」と気づくことができました。
enlightment:気づき
は、当然、静かにおとずれました。
そして、たどり着いたのが、以下の手紙の「境地」でした・・・
<迷いのなかで、苦しんでいる貴方へ>
人生はゲームのようなものです。
過去の体験も記憶も、既に自分から吐き出されて役に立たない「ウンコ」のようなものです。
未来への目的意識も不満をうみだす「ウンコ」のようなものです。
不安とか不満
というものは、実存しないものです。
自分の心の中で作り上げた、単なる「イメージ」と「言葉遊び」です。
この世界は自分自身で設計・企画した「お化け屋敷」のようなものです。
自分自身で想像の「妖怪」をイメージして不安になっているだけです。
心を鎮めれば、「妖怪」は自分で作り出しているだけと気づきます。
要するに、自分で設計・企画した「お化け屋敷」の作り物の「妖怪」に本気で驚いてしまっているだけです。
作り物と気づけば、自分自身は何も変わっていないし、傷つきさえしていません。
「今、ここ」にある静寂と満足に気づくことができないなら、生涯、幸せとか満足を知ることができません。
未来にかかげる「目標」は、それが「今、ここ」には無いことを認めてあがいているだけです。
無いことを認めた瞬間に「不満」が出来上がります。
未来に目標を持つ限り、永遠に「今、ここ」に集中することはできません。
未来に目を向ける行為そのものが「満たされていない」「未だ叶っていない」ことを認め、それがすなわち「不満足」を生みだします。
全ての幸福も豊かさも「今、この瞬間」に感じることしかできません。
過去にも未来にも、存在しません。
過去も未来も「言語ゲーム」であり「想像:イメージ」という架空のものでしかないのです。
「実存」しているのは「今、ここ」だけです。
貴方は過去の「あそこ」にもいないし、未来の「あの場所」にもいません。
貴方は「今、ここ」に存在しているだけです。
貴方の幸福と豊かさと平和と安心は、「今、ここ」で感じることしかできないことに気づいて下さい。
過去と呼ばれるものも、未来と呼ばれるものも「今・ここ」が「言語ゲーム」で登録されただけもものです。
今までも「今・ここ」でしたし、これからも「今・ここ」しかありません。
貴方は「今・ここ」以外に存在することはできません。
幸せも豊かさも
「物質」「お金」「外的環境」
の中にはありません。
自分自身が「今・ここ」で感じるものです。
「形」や「形式」や「スタイル」の中には、幸せも豊かさも存在しません。
自分のイメージを、それらに投映しているだけです。
感じるということは、「今・ここ」の存在にしか在りません。
人生に目的も意義もありません。
ただのゲームです。
法則に従って、ルールはありますが、
ゲームの展開とストーリーを楽しめば良いのです。
宗教はただの「ファンクラブ」です。
キリスト・ファンクラブ
アラー・ファンクラブ
エホバ・ファンクラブ
仏陀・ファンクラブ
です。
SMAPやAKB48のファンクラブと何ら変わりません。
自分で勝手にイメージを膨らませて、その中に幸せや豊かさがあると思い込んでいるだけです。
いかなる宗教にも参加する必要はありません。
そこに幸福も豊かさも存在しません。
今、貴方は自分が「傷ついている」と感じているかも知れません。
しかし、貴方は、貴方であり、何も変わっていませんし、傷つくこともありません。
貴方は、豊かさを感じるのには「条件」が整わなければいけないと信じこまされています。
毎日、TVや雑誌で垂れ流されている「欠乏感」と「物質」や「外的環境」による「偽物の充実感」に心を迷わされて、自分の豊かさにも「条件」が必要と信じこんでいます。
貴方が豊かさとか幸福を感じるのに「条件」は不要です。
「今、この瞬間」に存在そのももの絶対的平和と静寂を感じられなければ、今後も感じることができません。
誰か寄り添ってくれる人が、
お金が、
欲しい物が、
不動産が・・・あれば?
貴方は、自分の豊かさに「条件」をつけますが、それらの「条件」が整っても豊かではないことは、世界のあらゆる場面で証明されています。
「・・・が無ければ幸せではない」という条件付けは、貴方が勝手に思い込んでいる「イメージ」でしかありません。
幸せも豊かさも「無条件」で感じられることです。
貴方を幸福にできるのは「貴方の感じ方」だけです
<迷いのなかで、苦しんでいる貴方へ>はなむけのメッセージとして、
「エックハルト・トール」の言葉
と
「ガンガジ」の言葉
を
贈ります。
心を鎮めて、視聴してみて下さい。
貴方の人生に、何かヒントになれば幸いです。
<お化け屋敷の設計・企画に飽き飽きしてスピリチュアルを引退した凡人>より
Posted by 管理者 at 11時21分 パーマリンク
2011年12月31日(土)
雪の高野山へ・・・(前編) [知的生活]
2011年の締めくくりに、
雪の高野山へ出かけました。
親友の志水君と2人旅です。
学生の頃には、このコンビで四国霊場八十八寺の巡礼もしました。
巡礼の締めくくりも高野山でした。
芦屋を朝に出発して、まずは高野山の麓の橋本市にある
「木間暮」という、本格石窯のピザを楽しめるオープンカフェに立ち寄りました。
橋本市内から、2m幅の山道をクネクネ数キロ・・・
軽自動車の対向も不可能な小径です。
ムーミンで崖下転落寸前・・・インディジョーンズ並みの秘境ドライブでした・・・(笑)
下界を見下ろしながら
囲炉裏をかこんで、マスターの手作りピザのコースを楽しみました。
リフレッシュした後は、一路、高野山を目指すはずでしたが、
にわかに、風が強くなってきて、雪雲がモクモクと・・・(後編へ)
Posted by 管理者 at 21時04分 パーマリンク
雪の高野山へ・・・(後編) [知的生活]
麓の橋本市で観光協会に問い合わせたところ
高野山は積雪30cm以上で路面は完全凍結の情報でした。
ノーマルタイヤのムーミンでの強行は諦めて、橋本駅前に駐車し、電車とケーブルを乗り継いで登りました。
宿坊は一条院を選びました。
高級旅館並みの素晴らしいお寺です。
ただし、暖房の効いている部屋以外は、マイナス三度・・・
吐く息がどこまでも白く拡がります。
精進料理はボリュームたっぷりのフルコース
夕食後に壇場伽藍まで、雪のなかを散歩へ
ライトアップされた根本大塔は、さすが世界遺産だけのことはあります。
「自ずから」「然るべく」「あるがまま」
すべての現象は「中立」・・・意味づけしているのは自分自身の「心のあり方」と知らされました。
就寝前には、般若心経の
写経をしながら、「自由自在」の意味をかみしめました。
翌朝は、幻想的な雪景色のなかを、一時間半を掛けて「奥の院」へ
お地蔵様も鼻から「氷のつらら」が・・・
奥の院の霊廟には現在も空海が禅定を続けているとされています。
維那(ゆいな)と呼ばれる仕侍僧が衣服と二時の食事を給仕していますが、今回、偶然に維那(ゆいな)の一行と境内で出会うという御縁を頂きました。
清々しい気持ちで締めくくることができて至福の1年になりました。
自由自在に豊かな心で生きる・・・
来年が楽しみです。
Posted by 管理者 at 20時20分 パーマリンク
2011年01月29日(土)
<器がいっぱい・・・> [知的生活]
僕は日記をつけていますが、一昨年から10年連用にかえました。
時々、散文を書き込んでいます。
ふと見ると
昨年の同日に、こんな散文を書いていました、
<人間の心の器>についてです。
今も変わらない、自分の真意を得ているなぁ〜と
懐かしく思いました。
<器がいっぱい・・・>
これ以上は入らないかな・・・?
自然に減るのを待つかい?
軽くなってから、入れようか
すぐに捨ててしまうかい?
新しいものを入れたいなら、
何かを捨てないとね
でも入れる必要のないもののために
古くて馴染みのあるものを捨てることもないよね
入れる必要のあるものって何だろう?
格好の良い器にほんの少し入っているのも
素敵だろうね
器が大切かな・・・
Posted by 管理者 at 13時45分 パーマリンク
2009年09月01日(火)
思考エネルギーについて [知的生活]
ご無沙汰しておりました。
おかげさまで、夏の間は、読書三昧の日々を、楽しませていただきました。
僕は、30代の頃から、
55歳になったら、隠遁して、思索にふける毎日を送りたい・・・
と、考えていました。
まだ4年ありますが、「移行期」と考えて、
51歳までの、思索で得られた、「卞の仮説」を、
時折、コラムアップさせていただきます。
最初のテーマは
「思考エネルギー」についての「卞の仮説」です。
思考は、光と同様に<波>の性質と、<粒子>にあたる言語イメージに変換される性質を持っていると考えます。
仮説1
「思考エネルギーは、物質や、化学エネルギーには変換されにくい、
<言語><命題>の形態に変換されやすい」
すなわち、言語的に命題をつくることは、思考エネルギーの顕化
と、考えたい。
物質化されにくいので、サティア・サイババのように、空間から思考で物質を直接に生みだすことはできない。あれは、単なるマジック
<はじめに言葉(光)ありき>は、<はじめに思考エネルギーありき>と、読み替えられる。
仮説2
「思考エネルギーは、<時空>を曲げる作用があり、その力は、質量が重力を生みだすのと同じ様式だが、むしろ強力である」
すなわち、思考エネルギーは、時空を曲げる作用が強く、この作用が、成功理論で取りざたされている<引き寄せの法則>なるものの、理論的裏付けになる。
仮説3
「思考エネルギーは、、他のエネルギー形態と異なり<情報伝達としての独自の時空>を有しており、その時空を自在に曲げることにより、瞬時に伝わる」
すなわち、テレパシーは、独自の時空を曲げて情報が伝達されたものと考えられる。思考エネルギーで満たされている独自の空間こそ、宇宙の本質そのものだと考えます。
仮説4
「物質の存在には、思考エネルギーが関与している」
すなわち、思考エネルギーは、量子力学でいうところの、「対称性の破れ」などを通じて、物質の存在そのものに、影響を及ぼしている。
素粒子のふるまいに、思考が関与して、物質化するのではないか
仮説5
「思考エネルギーは、物質の中に取り込まれる」
質量でもなく、化学エネルギーでもなく、単に<情報:思考そのもの>と呼べるエネルギー形態で、物質に取り込まれる様式が存在していると考えられる。
すなわち、<気合い>は本当に物質に入り込むことが出来る。
と考えています。霊的現象も、思考エネルギーが現存の物質に取り込まれている状態だと考えます。すなわち「形見」には死者の思考が取り込まれている。
仮説6
「思考エネルギーで満たされているが、物質化されてずに揺れのない状態を<無>と呼んでいる」
<無>とか<空>は、何もない状態ではなく、逆に満たされているが、全くバランスが崩れておらず、「対称性の破れ」もないため、物質化・顕化されていない状態を指すものと考えています。
以上が、現時点での、<思考エネルギー>に関する、僕の仮説です。
今後、生涯をかけて、じっくりと、深めて行きたいと思います。
Posted by 管理者 at 16時29分 パーマリンク