2007年02月17日(土)
近江散策:その2 [街道をゆく<プチ>]
近江八幡をあとにして、琵琶湖の東岸の湖周道路を北上して彦根へ向かいました。兵と物資を水路を使って速やかに目的地に運ぶために、戦国武将が湖畔に城を構えた気分が伝わってきます。
築城400年祭の準備中だった、
彦根城を訪ねました。
外濠と中濠を橋で渡り
愛(車)馬を大名庭園玄宮園の傍に繋いで、
徒歩で登城です。
水を上手く引き込んで外堀に使い、天然の要塞が出来上がっています。
徳川四天王に数えられる、井伊直政は14歳で家康に見いだされ、子飼いの猛将として大いに活躍しました。「井伊の赤備え」と呼ばれる、朱色の具足に身を固めた凛々しい美男子、直政。
戦国武将の中では珍しく「衆道(男色)」を好まなかった家康が、美男子の直政だけは愛したという話も残っています。
関ヶ原の後、井伊家は、西の島津、毛利に対する見張り役として、徳川家に忠誠を尽くしました。東国の守りとして彦根城の造りは秀逸と感じました。多くの兵を一同に戦の準備をさせるのに充分な広がりがあります。島津の押さえには肥後熊本城をはじめ、東国に向けて数々の守りの城がありますが、彦根城に東軍を集結させれば食い止められただろうと、現地に立ってあらためて納得しました。
表門の右には、藩主が日常生活を送っていた表御殿が、博物館を兼ねて復元されています。奥向き御座之間に面して拡がる庭園を、桜田門外の変で倒れた13代当主、井伊直弼も眺めたのでしょうか・・・直弼の気持ちで臨んでみましたが・・・自分の凡夫さを思い知るだけでした。
観光保全されたキャッスルロードにある「千成亭 伽羅」で近江牛ステーキを楽しんだあと、
近江商人:堤一族の彦根プリンスホテルへ・・・大津プリンスと同じようにイルミネーションが・・・(気張って派手にしているのでしょうか?)。
スカイラウンジで、今回の<近江の街道>をもう一度、噛みしめました。
次は「壬申の乱」の足跡を訪ねてみようかな・・・と独りワクワクしています。
Posted by 管理者 at 16時32分
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